おもちゃ遊びから教えられること

先日、テレビで麻薬探知犬の番組をやっていましたね。

 

その中で、麻薬探知犬を作っていく過程でおもちゃ遊びが取り入れ

られていました。

 

大麻草の匂いをつけたダミーと呼ばれるものをレトリーブさせたり、

引っ張りっこしたりと。

 

その過程の中で、犬は大麻草の匂いを覚え、それを見つけると

楽しい遊びが出来ることを学習していくわけです。

 

もちろん、そこまでに複雑な過程があるでしょうが、それが空港の

キャリーバックの中に入った、大麻草の匂いを発見することに

繋がっていくみたいですね。

 

警察犬の襲撃を教えていく際にも、おもちゃ遊びが取り入れられているのを

見たことがあります。

 

腕に噛まれても大丈夫なようにパッドを巻き、麻袋みたいなものを

かぶせて、そこに噛みつかせます。

 

そして、噛みついて来た時に引っ張りっこをするのです。

 

噛みついた箇所を離さないようにするための意欲をつけていくことも

そうでしょうが、その箇所を噛みつくことにより楽しい遊びが出来ることを

学習していくのでしょう。

 

イギリスなどで行われている、撃ち落とした鳥などを回収してくる

ガンドッグという仕事。

 

これらも全ておもちゃ遊びを取り入れて、教えていくのです。

 

こう考えてみると、おもちゃ遊びも奥が深い。

 

ただし、一般のご家庭でここまでのことを教えていくことは、ほとんど

ありませんよね。

 

だけど、一般の家庭でもおもちゃ遊びによって教えられることって

結構あるんですよ。

 

次回はその辺に触れてみましょう!

 

 

牙を剥き出して笑う

犬の笑顔はとても素敵なものだ。

 

口角が緩み、穏やかな目をして、見ているだけでとても癒される。

 

笑顔とは違うが、適度な運動をした後の、ハアハアと体温を調節

するためにパンティングをする表情にも癒される。

 

大きく口をあけ、満足したかのように目をすぼめている表情も

とても可愛らしい。

 

どうやら人間はそのように大きく口をあけ、目を細めている姿に

弱いらしい。

 

それが、自分よりも非力な対象になると尚更だ。

 

人間が、赤ちゃんや動物に、可愛いといった感情を抱くのも

そのようなことが関係している。

 

動物が好きであれば、獰猛な動物…ライオンやトラであっても、

その子供であれば可愛いといった感情を抱く。

 

それは、その子供が自分よりも確実に非力なことであったり、

大きく口をあけ、目を細めている姿(笑っている様子)などに、

敵意を感じないことなどが心理学上では関係しているらしい。

 

少し脱線したわけだが、皆さんはこのような犬を見たことがあるだろうか?

 

歯を剥き出して笑っている犬の様子。

一瞬の見た目には、『これから噛んでやる』と言わんばかりに牙を

剥き出しているのである。

 

しかし大きく違うのが目の形である。

 

威嚇的に牙を剥き出す時の様子とは大きく異なり、目を細めてニタッと

笑った目をしている。

 

その口元と目元のギャップが非常に面白い。

 

犬の笑顔にはそんな表情もあるのだ。

 

是非、自分の犬をもっともっと観察してみて欲しい。

 

 

ご飯を守る 2

ご飯を守ることを、認めてあげるべきか、止めさせるべきか。

 

私であれば、前回の記事でも書いたように、止めさせる方を選ぶ。

 

認めてあげるということは、犬が食事をしている時に、近付かない、

身体を触らない、食器に手を伸ばさないということになる。

 

それだけであれば出来るであろう。

 

だが、偶然にも近くを通らなければならないことが起こった時に、

うなられても、噛みつかれても仕方がないということである。

 

子供が遊びに来た時、孫が遊びに来た時、子供や孫が何気なしに

食事中の犬を触ろうとした時に、噛まれても仕方がないということだ。

 

子供達に前もって注意出来るなら良いが、それでもやってしまう

可能性があるのが子供である。

 

もしかしたら、犬の食事中に大切な指輪が食器の近くに落ちて

しまうかもしれない。

 

そのままにしておけば、誤って指輪を誤飲してしまうかもしれない。

 

そのようなことがあっても、認めてあげますか?

 

前回も書いたように、信頼関係などの飼い主さんとの関係性とは

別に所有欲を見せることがある。

 

であれば、最初からそのような所有欲は抑えるようなトレーニングを

しておいた方が良いだろう。

 

それで事故が起こる可能性がぐっと減るのであれば、その方が

良くはないだろうか。

 

そして、そのトレーニングを行うにしても、犬の食事の邪魔ばかりする

わけではない。

 

人間が近くにいても、平気なこと、食事を守る必要がないことを

教えて行くだけである。