前回書いたブログ『おじいちゃんとの生活』
このブログの中でとにかく長生きしてくれれば何でもいいと願ったが、その願いは叶わなかった。
そのブログを書いた5日後にみなみは虹の橋を渡った。
死ぬ時のことを考えたことは何度もある。
ただ、その瞬間は自分の腕の中で…と、望んでいた。
その望みすら叶えられなかった。
せめて、最後の夜ぐらい一緒にいたかったのにな…。
ブログを書いた2日後に入院し、その3日後に病院で亡くなった。
入院当初、命に別状はないだろうと聞いていたのだが、入院3日目の昼に容態が悪化。
電話を受け、病院へ直行する。
現状を聞き、今後の治療方針を聞いて、みなみと面会した。
そこには動く気配もなく、ゼーゼーと苦しそうに息をしているみなみがいた。
その姿はとても弱々しく、本当に辛そうだった。
涙が出た。
とにかく元気になって欲しいと声をかけて、頭を撫でて、身体を触って…。
面会してから2,3分くらい経った頃かな。
ポタっと鼻血が垂れた。
『あっ、鼻血』って思った瞬間、グタっと倒れこみ勢いよく鼻血が出てきた。
『もうダメだ…』
そう、直感した。
死に際には身体の水分が出ると聞くが、それが脳裏をよぎったから。
当たってほしくない直感だったが、みなみは戻ってくることはなかった。
心肺蘇生を試たものの、心臓マッサージをされてる姿が痛々しかった。
数分経過し戻ってくる気配もないのに、もう良いですとなかなか言い出せなかった。
何とかなるとは思わなかったけれど、言えなかった。
まさか、こんな一瞬で別れが来るなんて。
2,3分声をかけて触れて終わりなんて。
辛すぎる…
ある人は『最後に会えるまで待ってたんだよ。』と。
またある人は『最後に飼い主に会えて安心したんだね』と。
…足りない。
僕は自分の腕の中で安らかに逝って欲しかった。
病院のケージの中で死ぬなんて思ってなかった。
それをしてあげられなかったことが物凄く悔しかった。
犬を亡くした経験のある方には最後を看取ることも出来なかった人は大勢いるはず。
その人たちに言わせたら、最後を看取れたのはとても幸せなことかもしれない。
だけど…、やっぱり足りない。
我儘かもしんないけど。
今日で1ヶ月。
みなみがいない日常を心穏やかに過ごせるようになってきた。
まだまだ泣いちゃうこともあるけど、亡くなった時のようにすぐに涙が出ることはなくなったかな。
亡くなってから3日間くらいの間はみなみの名前を聞いたり、顔が浮かんだ瞬間に涙が出てた。
その時はなんでかしらないけど、ごめん…て思ったり、もっとこうしてあげたかった…って思ったり後悔の念が強くて。
でも、今ではありがとう…って感謝出来るようになって。
前に進めたんだと思う。
自分にとってみなみの存在って物凄くでかくて、みなみが死んだら自分どうにかなっちゃうんじゃないかな…って思ってた。
ペットロスになって一週間ぐらい寝込むんじゃないかな…って思ってた。
でも、割と早い段階で前に進めたと思う。
自分がわりとポジティブな性格なこともあるが、2頭目、3頭目の存在はやはり大きい。
もちろんみなみの代わりにはなり得ないが、抱きしめる存在がいたり、散歩にいくことが大きな気晴らしになった。
でも、一番助けられたのは家族やスタッフたちがみなみに対して涙してくれたこと。
その涙をみて『あー、みなみは愛されてたんだ』と感じれたことが誇らしかったんだと思う。
犬を育てることにプライドを持つことは多い。
だから自分の育て方や犬の性格を批判されたらプライドを傷づけられたように感じる。
逆に今回のように涙を流してもらえたら、間違ってなかったと感じる。
肯定されたことがとても大きかったのかな。
犬を亡くしたのは初めての事。
大袈裟ではなく、みなみは今の自分を作ってくれたかけがえのない存在。
しょうもない大学生活を送っていた自分に、やりたいことを教えてくれて、仕事を与えてくれて、夢をくれて、自分の店を持たせてくれて、豊かな生活をくれて。
今、幸せな生活が送れるのはみなみのおかげだと心から思う。
感謝してもしきれない。
つい先日、読んだ雑誌の中でペットの老いに関して書いていた記事があった。
その中で老いを迎えるにつれ金銭的な面や、介護的な面で大変なことがたくさん書かれていました。
その記事を読んで、全て受け止めようと改めて覚悟したはずなのに最後の最後まで金銭的にも、介護の面でも全く世話をかけられなかった。
もっと世話かけなよ…と思うくらい、最後まで理想の子でいてくれたのかな?
そんなおじいちゃんを心から愛していました。
おじいちゃん、本当にありがとうございました。